コピー品を作る業者や人たちは、実際まさにこの視点から物事を見ています。彼らは自分達が本物の形だけを真似た模造品を作っているという自覚をもってコピー品を製造しています。そして、正式な権利をもったメーカーが作っている製品も同様だと誤解しています。例えば、ル・コルビュジェ製品の場合ではカッシーナ、イームズ製品の場合ではヴィトラ(ヨーロッパ・中東)やハーマン・ミラー(ヨーロッパ・中東以外の地域)が現在販売している製品も、自分達が作っているコピー品と同じであると勘違いしているのです。その視点で考えてしまうと、美術館に所蔵されていたり、個人コレクターが持っている当時の製品、それだけが本物で、それ以外は偽物ということになってしまいます。この考え方は、デザインの分野においては誤りである、と私は主張したい。確かに、最初にデザインされた製品や初期に生産された製品は貴重なヴィンテージであることに間違いはありません。デザイナーの最初のアイデアが反映された表現として、価値あるオリジナルであり、それは本物であるといえます。しかし、デザイナー本人が認め、正当な権利をもつメーカーが生産する製品もまた本物です。
なぜそう言い切るのか?デザインの本質とは何でしょうか。それは問題を解決することと、その方法です。デザイン当初のモデルは、当時の時代に生じたであろう問題を改善するためにデザインされています。そのため、現代の暮らしの中でそのまま使用しようとした場合、おそらく何らかの不都合が生じるでしょう。チャールズ&レイ・イームズは、彼らの長いキャリアをかけてひとつの製品の改良と改善を続け、素材やサイズ、フロアを傷つけないよう椅子の脚の裏に付けるグライドなどの細かい部品に至るまで変更を重ね続けていました。つまり、最初のデザインは、「最初」という点については賞賛に値するものの、現代においては時代遅れであるといっても過言ではないのです。
「オリジナル」=「本物」という言葉は、製造日や製造年ではなく、デザイナー本人またはその正当な継承者と、メーカーの信頼関係によって定義されます。もちろん、そこには法的な要素も大きく関係しますが、デザイナーとメーカーが同じ理想や価値観を共有しているかどうか、それに向かい互いに協力し努力し合えるかということが何よりも大切です。「オリジナル製品」の定義、それはデザイナーが製造者に許可を与えているかという点に尽きます。許可なく製造されたものは、すべてがコピー品・模造品であり、デザイナーとデザイン界の遺産を不当に流用していると見なされます。それは、コピー品と知りながら購入する消費者もまた同様です。デザイナーとオリジナルを製造するメーカーの間には互いに尊敬し合う関係性が築かれています。現代に相応しい形にリプロダクトする際に、デザイナーの意図や想いを曲解することのないよう、親密かつ深い対話と協力、妥協のない試作を重ねる必要があります。その過程を経ることのないコピー品は、消費者にとって手に取りやすい価格であったとしても、デザイナーの想いやこだわりに対しての理解や配慮を欠いており、「偽物」と表現せざるを得ません。The Original is by Vitra