「Communal Work=コミューナルワーク」の歴史

リビー・セラーズによるエッセイ

私たちはどのように共に働き、どのような空間が私たちを繋ぎ、これからの共同作業、協働、それらを促すワークスペース「Communal Work=コミューナルワーク」はどう変化していくのでしょうか? 「コミューナルワーク」の歴史と変遷を、リビー・セラーによるエッセイから紐解きます。



フランスの映画監督ジャック・タチが現代の都市生活の不条理を風刺した、1967年の”Play Time”の中で、彼自身の憂いを代弁する登場人物ユロは、待ち合わせの途中、架空のオフィスを通りかかります。金属製の立方体型の部屋と、鏡面の通路が並ぶオフィスに迷い込んだ彼は、秩序に支配された画一的な空間を出来る限り陽気に楽しもうと試みますが、それは到底無理なことでした。ジャック・タチは、ユロの混乱を通して、その規則性と支配性を痛烈に風刺したのでした。しかし、ジャック・タチが映像で表現した、ユロを困惑させた画一的で合理性を重視したキューブ型の空間が並ぶワークスペースは、映画のほんの10年前までは、協働と共同作業のための最新のオフィス空間として賞賛されたモデルでした。ところが、私たちのオフィスでの働き方が変化していくのに伴い、キューブ型の空間への評価は賞賛から嘲笑に変わってしまったようです。ユロを絶え間なく回転させた回転式ドアのように、オフィスデザインの歴史もまた、紆余曲折を経て堂々巡りをしてきました。

農業社会から工業社会へと移り変わるまで、いかに他人と共同作業を進めていくか、それが「働くこと」の歴史であったと言っても過言ではありません。今日私たちがオフィスとして認識する空間が出現したのは、事務作業の発生と密接に関連しています。文字が発明され、体系的な記録が可能になったことで、書類化して保管するためのスペースが必要になりました。これがオフィスの起源です。フィレンツェの Uffizi Gallery は、もともと16世紀にメディチ家の莫大な財産を管理する事務所として機能していました。従業員が働く場所であるとともに、メディチ家の権力と名声を目に見える形で表現したこの建築物は、歴史上初めての企業オフィスのひとつです。事務業務に加え、他のサービスの専門職が生まれ細分化されたことで、それぞれの管理に必要なスペースも増えていきました。

19世紀半ば頃には、世界中の主要都市には帳簿などの記録をするための場所がすでに存在していたことが、当時の文献にも残されています。イギリスの小説家であるチャールズ・ディケンズの著書の中には、事務作業員がたびたび登場しますし、当時の風刺画には、広大なホールの中に長い木製の机が並び、フロックコートを着た男性たちが作業する様子が描かれています。「生気のない不気味な事務作業員たちは、通路をうろうろしたり、狭い階段に通じる戸口に向かったり、時には刑務所のように薄暗く汚い倉庫に姿を消していく…まるで『牢獄』!」と皮肉交じりに表現する文献もありました。
19世紀半ば頃には、世界中の主要都市には帳簿などの記録をするための場所がすでに存在していたことが、当時の文献にも残されています。イギリスの小説家であるチャールズ・ディケンズの著書の中には、事務作業員がたびたび登場しますし、当時の風刺画には、広大なホールの中に長い木製の机が並び、フロックコートを着た男性たちが作業する様子が描かれています。「生気のない不気味な事務作業員たちは、通路をうろうろしたり、狭い階段に通じる戸口に向かったり、時には刑務所のように薄暗く汚い倉庫に姿を消していく…まるで『牢獄』!」と皮肉交じりに表現する文献もありました。

生産性の向上と業務効率化が重要視されるにつれ、オフィス空間もこの二つを叶える環境に変化していきました。世界的な地価の上昇に伴い、建築物は鉄骨やエレベーターを取り入れ高層化しました。その結果、超高層ビルが都市の景観を飲み込み、狭小な土地面積に膨大な労働者が押し込まれることになりました。ビクトリア朝時代と同じように、労働者は管理され、画一的に並び、それを管理者が監督する構図が確立されました。エアコンと蛍光灯の普及により、採光や自然換気に配慮する必要がなくなり、最終的にここで働く者は皆外界から切り離されました。その環境は、人間性を奪い、モチベーションを低下させてしまいます。

1960年代、またしても働く環境に大きな変化が訪れます。従業員のより健康的な労働条件を擁護する労働組合の取り組みにより、新たに「社会民主的な」ワークプレイスが誕生しました。かつての統制された画一的なオフィスは「ビューロランドシャフト」あるいは「オフィスランドスケープ」と呼ばれる各部署の機能や仕事内容に応じて機能性やコミュニケーションが配慮されたレイアウトへと発展しました。他者とのコミュニケーション、相互作用、協業を復活させることを目指し、壁を取り払う代わりに植物や家具で緩やかに空間が分けられ、従業員は意図的に有機的で不規則に配置されました。一見不規則に見えるものの、仕事の流れや社内の役割、導線に基づいて計画されています。.
閉鎖的な空間と開放的な空間、移動式と固定式の家具システム、またしてもオフィスの歴史が繰り返されます。1960年代後半には、ハーマンミラーから、日々のオフィスの喧騒の中でプライバシーを守り個人作業を可能にする「アクション オフィス」シリーズの家具システムが発表されました。空間や用途に柔軟に対応し、半個室型の「アクション オフィス キュービクル」とその多くのコピー品を使ったオフィスの形は、グローバルなオフィスの規範となり、その後数十年に渡り強い影響力を持っていました。しかし、後年になって、その開発者であるロバート・プロブストでさえ、偏在する「牢獄」のような空間が、従業員を強迫的に追い詰めて働かせていると批判しました。

1980年代には、潜水艦隊の乗組員が個人専用のベッドを持たず数人でシェアする「ホット バンキング」という方法をヒントに、ワークステーションを複数の従業員で共有する「ホット デスキング」が登場しました。パソコン、携帯電話、インターネットなどテクノロジーの導入が進み、「オフィス ホテル」や「マルチスペース」という、抱えているタスクや作業に応じて最適な環境が選べる、新しいオフィスコンセプトが登場しました。そして、世界的なパンデミックが起きると、それぞれ適切な距離を保つこと、デスク間に仕切りを設置することが義務付けられ、自宅から働く「WFH -ワーク フロム ホーム」が急速に一般化しました。不安と混乱に満ちたパンデミック時には有益であったホームオフィスも、今や疎外感やモチベーションの低下に繋がることが明らかになり、「quiet quitting=静かな退職」や「The great resignation=大辞職」などの流行語が生まれました。

従業員にオフィスへの回帰を促したい雇用主には、組織全体またはシステム全体に対して、バーチャルとリアル、オンラインとオフラインの間の柔軟なバランスを再考するまたとない機会でした。その結果、個人の集中的な作業のためのホームオフィス、チームワークや対面でのコミュニケーションを要する自社オフィス、シェアオフィスやコワーキングスペースなどの第三者のスペース、それらの場所を仕事内容によって使い分け、オンラインとオフラインに対応するハイブリット型の環境を整備する必要性が生まれました。ここで本当に大切なのは、考え方自体をハイブリッドに移行することです。つまり、オフィスに求める要素は人それぞれ、多様であることを理解し、リモートワークを考慮した柔軟性と俊敏性を兼ね備えた可変的な空間、そしてチームでの共同作業、協働を促す「コミューナルワーク」を叶える空間、両方をこれからのオフィスに反映させることが大切です。

Publication Date: 21.4.2023
Author: Libby Sellers (Libby Sellers is an independent design curator, historian and author based in London)
Images: 1. © 2023, ProLitteris, Zurich; 2. © Courtesy Herman Miller Archives; 3. Vitra;

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